ゴジラを見てきました🎵


いやぁ、やっぱりGODZILLAは和製が好きです。
あの、ずしぃぃいん、と不気味な余韻の歩みが好きですラブ
低音のラッパの鳴りがよく似合います。
そしてそれを味わいたいために4DX選んで大当たりでした!
オマージュリスペクト悪のりが詰まりまくっているところも楽しいです。
事前情報まったく見てなかった状態でみてよかったと思います。
答えあわせの楽しみが残ってますから。

 

中には酷評もありますが、初代ゴジラおよび、主に昭和特撮へのオマージュである作品だと思って見ました。

 

まず、真っ赤なバックに黒シルエットのゴジラがポスターになってるビジュアル。

ウルトラマン…帰ってきたウルトラマンかな? の赤バックに黒の切り絵の怪獣・星人たちがスライドするオープニングでしたよね。

 

ごく低い位置から、ミニチュア(風?)市街の崩壊するショット。

瓦一つ一つ、羽目板一枚一枚が飛んでいくのを幼心に見たとき、壊すためのものをこんなに細かく作ってくれるんだ、すごい!大人の本気ってすごい!!

と感動した記憶があります。

あのミニチュア感のある画像が子どもの頃の興奮を呼び起こしてくれます。

 

レコード盤が音源かな、と思えるちょっとエッジのぶれた伊福部サウンド。

 

黒くごつごつした皮膚の亀裂から赤い光、ゆっくりした歩み、キラウエアの溶岩流のように見えます。空気で冷え、黒く皮膜を作って自分でそれを破って赤い割れ目をのぞかせ、ゆっくり、ゆっくりと流れていく。

逃げることが可能な速度だけれど、阻むことは不可能。

 

進化のルールに従い(?)地上に上がり、動きやすい平野を歩いているだけのゴジラ。

 

ノスタルジーと幼い頃の恐怖と興奮を呼び起こすだけではなく、悲しくも大人になってしまった今の視点でのリアルさも随分と盛り込まれていました。

英雄なんていない。

好き嫌いなんて感情を排除して、ひたすら協力してくれる人間と都度都度情報を共有して調整して精度を上げて、妥協せず確度を上げて、検証を積み上げて、上げて…

 

ゴジラは人の手の及ばぬ自然現象、或いは核の象徴から、ここで「仕事上」という卑近な困難にスライドするのでしょう。

幽霊の、正体見たり枯れ尾花、ではないですが、夏休みの怪獣映画の枠に落とすには、もしくは

「それでも生きていける希望」

にするにはその転換が必要なんだろうな、と。

それが 虚構vs現実 の構図の中に含まれているのかな。

目標を達成するまでは足を縫いとめてしまう感情は凍らせておかないと、そこで終ってしまう。

恨みや怒りでは冷静さをなくして、心から悼む時間が来ることを許してくれない。

 

モノローグがまるでない、あえて言うなら矢口のちょっとアジっぽい演説とパターソンの帰らない理由かな、というぐらいですが、それで人によって拾い上げたい部分がまるで変ってしまう、というのがまた面白い処ですね。

 

矢口の言動を聞いていると、おじいちゃんからWW2の話を色々聞いて育ったのかな、とちょっと思ってしまいました。

二二六、マリコ、あたりをどう聞いている設定になっているのか気になりますが、「怪獣映画」の枠の中で語れる範囲を出てしまうので裏設定としてはあっても表には出ないんだろうなぁ。